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8年

こんにちは、栗原です^^

 

南三陸町へ足を運んできました。

東日本大震災から8年の南三陸町。

「津波が押し寄せる中、役所の女性職員が最後まで防災無線で避難を呼びかけていたところ」といえば、あそこかと思うひとが多いかもしれません。

当時このニュースがどの番組でも取り上げられていましたからね。(実際には自然災害などの際にはすべての職員に係が与えられるため、すべての職員が任務に当たり多くの犠牲者が出ている、が、あまり報道されなかったそうです)

 

被災地を実際に見て、被災者の方から直接に話を聞くというものに参加させていただきました。

震災を風化させないという想いで始まったそうです。

 

話を聞かせてくださった方は、震災当日に朝から船で釣りに行ったが全く釣れなくて仕方なく昼には自宅に帰りご飯を食べて横になっていたところに地震がきたそう。

この方、なぜ平日昼間から釣りに興じていられたかというと、震災のあった年度末に定年退職する予定だったのですが、少しでも早く定年後の人生を楽しむために早期退職していたらしいです。

職業は、役所職員。

 

その日、魚が釣れていたら船の上や低地で地震を迎えて、津波に呑み込まれていた。

その時、役所を早期退職していなかったなら、係を与えられて任務に当たり津波に呑み込まれていた。

 

すでに二度、死んでいますとおっしゃってました。
多くの仲間を失いながら、生かされた人間。

定年後に何をするか。彼は、伝えることを選んだわけですね。

 

人生においては自分ではコントロールできない事件や事故や災害に遭遇しますが、
その時に起こったことを受け入れて前に進んでいく。

人間て強いな、と思いました。

 

そうそう、話を聞かせてくださったこの方の奥様とお母様は、朝から釣りに行くと伝えられていて、隣町の病院にいたところで被災したそう。

震災後に連絡手段も交通手段もなく、お互いの消息は不明の状態で2・3日が経過したらしいです。

「うちの旦那は津波で死んでしまっただろう」と考えていたそうです。

2・3日を避難した山の上で過ごした旦那様(語ってくださった方)が、なんとか細い山道を車で隣町の病院までたどり着いて、やっとの思いで奥様とお母様に再会したそうです。

 

「私と再会したとき、妻が私の顔から足元まで何度も見て、しばらく何も言葉にできない時間があって、その後に大泣きしました。」と笑いながら話して、

その後に笑顔と神妙な面持ちが合わさったような、複雑な表情で、

 

「自分を想っていてくれるひとがいる。家族っていいなと思いました」と語ったのが印象的でした。

 

実際に現地へ足を運ぶことって大切だなとつくづく思いました。

テレビでもラジオでもネットでも、そこから発信される情報はやはり利害関係や発信者の事情などが複雑に絡み合って歪んだ状態で僕たちへ届いているな、と今回感じました。

自ら見て聞いて、肌で感じて直感で拾い上げること。
情報が氾濫して簡単に手に入る時代だからこそ、気を付けたいですね。