食の安心は、自分で選べる 誰が何を考え、どのようにつくるのか
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栗原です。
僕は、ひとと話をするのが結構好きです。
そのひとの考え方とか経験談とかを聞いていると、楽しい。
(あまりにもかけ離れた考え方のひとの話は、耳が自動で閉じます。便利耳!)
本もすごく読みます。知らないことや知らない世界や自分にはない発想や考え方に触れると、車を運転していてなぜか赤信号に一度も引っかからなかったときくらいテンションが上がります。
そんな僕の感情が揺さぶられたというか、
あまりにも心を惹きつけられたと言ったらいいのか。
詩があります。詩というのかどうかは分からないけど。
皆さまにもぜひ読んでほしい。
こんな一節です。
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グリフィンの祈り
大きなことを成し遂げるために、力を与えて欲しいと神に求めたのに、
謙虚さを学ぶようにと弱さを授かった。
偉大なことが出来るようにと健康を求めたのに、
より良きことをするようにと、病気をたまわった。
幸せになろうと、富を求めたのに、賢明であるようにと、貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、
得意にならないようにと、失敗を授かった。
人生を享受しようとして、あらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと、命を授かった。
求めたものはひとつとして、与えられなかったが、願いは全て聞きとげられた。
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、
心の中の言い表せない祈りは、すべて叶えられた。
私はもっとも豊かに祝福されたのだ。
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これを読んだときは、衝撃を受けました。
こういう出会いがあるから、ひとと話をしたり、本読みすることがやめられない。
気になって気になって、誰の言葉なのかと調べてみると、
正しい情報かは定かじゃないですが、
アメリカ南北戦争での戦地でそれを経験した、ひとりの兵士の言葉だとか。
皆さんは、この一節に何を感じますかね?
僕は農創とともに日々成長することに重なりました。
態度だけがでかい人間や、大きいだけの組織がどれだけあることか。
大切なことを忘れてしまっているだけなんだ、と思いますが。
この一節との出会いに感謝です。